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FFアイコンドラマ


来てくれたみんなでFFドラマを作ろう!!


???「双子の星 二 (天の川の西の岸に小さな小さな二つの青い星が見えます。あれはチュンセ童子とポウセ童子という双子のお星様でめいめい水精でできた小さなお宮に住んでいます。 二つのお宮はまっすぐに向い合っています。夜は二人ともきっとお宮に帰ってきちんと座ってそらの星めぐりの歌に合せて一晩銀笛を吹くのです。それがこの双子のお星様たちの役目でした。) ある晩空の下の方が黒い雲で一杯に埋まり雲の下では雨がザアッザアッと降って居りました。それでも二人はいつものようにめいめいのお宮にきちんと座って向いあって笛を吹いていますと突然大きな乱暴ものの彗星がやって来て二人のお宮にフッフッと青白い光の霧をふきかけて云いました。 「おい、双子の青星。すこし旅に出て見ないか。今夜なんかそんなにしなくてもいいんだ。いくら難船の船乗りが星で方角を定めようたって雲で見えはしない。天文台の星の係りも今日は休みであくびをしてる。いつも星を見ているあの生意気な小学生も雨ですっかりへこたれてうちの中で絵なんか書いているんだ。お前たちが笛なんか吹かなくたって星はみんなくるくるまわるさ。どうだ。一寸旅へ出よう。あしたの晩方までにはここに連れて来てやるぜ。」 チュンセ童子が一寸笛をやめて云いました。 「それは曇った日は笛をやめてもいいと王様からお許しはあるとも。私らはただ面白くて吹いていたんだ。」 ポウセ童子も一寸笛をやめて云いました。 「けれども旅に出るなんてそんな事はお許しがないはずだ。雲がいつはれるかもわからないんだから。」 彗星が云いました。 「心配するなよ。王様がこの前俺にそう云ったぜ。いつか曇った晩あの双子を少し旅させてやって呉れってな。行こう。行こう。俺なんか面白いぞ。俺のあだ名は空の鯨と云うんだ。知ってるか。俺は鰯のようなヒョロヒョロの星やめだかのような黒い隕石はみんなパクパク呑んでしまうんだ。それから一番痛快なのはまっすぐに行ってそのまままっすぐに戻る位ひどくカーブを切って廻るときだ。まるで身体が壊れそうになってミシミシ云うんだ。光の骨までカチカチ云うぜ。」 ポウセ童子が云いました。 「チュンセさん。行きましょうか。王様がいいっておっしゃったそうですから。」 チュンセ童子が云いました。 「けれども王様がお許しになったなんて一体本当でしょうか。」 彗星が云いました。 「へん。偽なら俺の頭が裂けてしまうがいいさ。頭と胴と尾とばらばらになって海へ落ちて海鼠にでもなるだろうよ。偽なんか云うもんか。」 ポウセ童子が云いました。 「そんなら王様に誓えるかい。」 彗星はわけもなく云いました。 「うん、誓うとも。そら、王様ご照覧。ええ今日、王様のご命令で双子の青星は旅に出ます。ね。いいだろう。」 二人は一緒に云いました。 「うん。いい。そんなら行こう。」 そこで彗星がいやに真面目くさって云いました。 「それじゃ早く俺のしっぽにつかまれ。しっかりとつかまるんだ。さ。いいか。」 二人は彗星のしっぽにしっかりつかまりました。彗星は青白い光を一つフウとはいて云いました。 「さあ、発つぞ。ギイギイギイフウ。ギイギイフウ。」 実に彗星は空のくじらです。弱い星はあちこち逃げまわりました。もう大分来たのです。二人のお宮もはるかに遠く遠くなってしまい今は小さな青白い点にしか見えません。 チュンセ童子が申しました。 「もう余程来たな。天の川の落ち口はまだだろうか。」 すると彗星の態度がガラリと変ってしまいました。 「へん。天の川の落ち口よりお前らの落ち口を見ろ。それ一ぃ二の三。」 彗星は尾を強く二三遍動かしおまけにうしろをふり向いて青白い霧を烈しくかけて二人を吹き落してしまいました。 二人は青ぐろい虚空をまっしぐらに落ちました。 彗星は、 「あっはっは、あっはっは。さっきの誓いも何もかもみんな取り消しだ。ギイギイギイ、フウ。ギイギイフウ。」と云いながら向うへ走って行ってしまいました。二人は落ちながらしっかりお互の肱をつかみました。この双子のお星様はどこ迄でも一緒に落ちようとしたのです。 二人のからだが空気の中にはいってからは雷のように鳴り赤い火花がパチパチあがり見ていてさえめまいがする位でした。そして二人はまっ黒な雲の中を通り暗い波の咆えていた海の中に矢のように落ち込みました。 二人はずんずん沈みました。けれども不思議なことには水の中でも自由に息ができたのです。 海の底はやわらかな泥で大きな黒いものが寝ていたりもやもやの藻がゆれたりしました。 チュンセ童子が申しました。 「ポウセさん。ここは海の底でしょうね。もう僕たちは空に昇れません。これからどんな目に遭うでしょう。」 ポウセ童子が云いました。 「僕らは彗星に欺されたのです。彗星は王さまへさえ偽をついたのです。本当に憎いやつではありませんか。」 するとすぐ足もとで星の形で赤い光の小さなひとでが申しました。 「お前さんたちはどこの海の人たちですか。お前さんたちは青いひとでのしるしをつけていますね。」 ポウセ童子が云いました。 「私らはひとでではありません。星ですよ。」 するとひとでが怒って云いました。 「何だと。星だって。ひとではもとはみんな星さ。お前たちはそれじゃ今やっとここへ来たんだろう。何だ。それじゃ新米のひとでだ。ほやほやの悪党だ。悪いことをしてここへ来ながら星だなんて鼻にかけるのは海の底でははやらないさ。おいらだって空に居た時は第一等の軍人だぜ。」 ポウセ童子が悲しそうに上を見ました。 もう雨がやんで雲がすっかりなくなり海の水もまるで硝子のように静まってそらがはっきり見えます。天の川もそらの井戸も鷲の星や琴弾きの星やみんなはっきり見えます。小さく小さく二人のお宮も見えます。 「チュンセさん。すっかり空が見えます。私らのお宮も見えます。それだのに私らはとうとうひとでになってしまいました。」 「ポウセさん。もう仕方ありません。ここから空のみなさんにお別れしましょう。またおすがたは見えませんが王様におわびをしましょう。」 「王様さよなら。私共は今日からひとでになるのでございます。」 「王様さよなら。ばかな私共は彗星に欺されました。今日からはくらい海の底の泥を私共は這いまわります。」 「さよなら王様。又天上の皆さま。おさかえを祈ります。」 「さよならみな様。又すべての上の尊い王さま、いつまでもそうしておいで下さい。」 赤いひとでが沢山集って来て二人を囲んでがやがや云って居りました。 「こら着物をよこせ。」「こら。剣を出せ。」「税金を出せ。」「もっと小さくなれ。」「俺の靴をふけ。」 その時みんなの頭の上をまっ黒な大きな大きなものがゴーゴーゴーと哮えて通りかかりました。ひとではあわててみんなお辞儀をしました。黒いものは行き過ぎようとしてふと立ちどまってよく二人をすかして見て云いました。 「ははあ、新兵だな。まだお辞儀のしかたも習わないのだな。このくじら様を知らんのか。俺のあだなは海の彗星と云うんだ。知ってるか。俺は鰯のようなひょろひょろの魚やめだかの様なめくらの魚はみんなパクパク呑んでしまうんだ。それから一番痛快なのはまっすぐに行ってぐるっと円を描いてまっすぐにかえる位ゆっくりカーブを切るときだ。まるでからだの油がねとねとするぞ。さて、お前は天からの追放の書き付けを持って来たろうな。早く出せ。」 二人は顔を見合せました。チュンセ童子が 「僕らはそんなもの持たない。」と申しました。 すると鯨が怒って水を一つぐうっと口から吐きました。ひとではみんな顔色を変えてよろよろしましたが二人はこらえてしゃんと立っていました。 鯨が怖い顔をして云いました。 「書き付けを持たないのか。悪党め。ここに居るのはどんな悪いことを天上でして来たやつでも書き付けを持たなかったものはないぞ。貴様らは実にけしからん。さあ。呑んでしまうからそう思え。いいか。」鯨は口を大きくあけて身構えしました。ひとでや近所の魚は巻き添えを食っては大変だと泥の中にもぐり込んだり一もくさんに逃げたりしました。 その時向うから銀色の光がパッと射して小さな海蛇がやって来ます。くじらは非常に愕ろいたらしく急いで口を閉めました。 海蛇は不思議そうに二人の頭の上をじっと見て云いました。 「あなた方はどうしたのですか。悪いことをなさって天から落とされたお方ではないように思われますが。」 鯨が横から口を出しました。 「こいつらは追放の書き付けも持ってませんよ。」 海蛇が凄い目をして鯨をにらみつけて云いました。 「黙っておいで。生意気な。このお方がたをこいつらなんてお前がどうして云えるんだ。お前には善い事をしていた人の頭の上の後光が見えないのだ。悪い事をしたものなら頭の上に黒い影法師が口をあいているからすぐわかる。お星さま方。こちらへお出で下さい。王の所へご案内申しあげましょう。おい、ひとで。あかりをともせ。こら、くじら。あんまり暴れてはいかんぞ。」 くじらが頭をかいて平伏しました。 愕ろいた事には赤い光のひとでが幅のひろい二列にぞろっとならんで丁度街道のあかりのようです。 「さあ、参りましょう。」海蛇は白髪を振って恭々しく申しました。二人はそれに続いてひとでの間を通りました。まもなく蒼ぐろい水あかりの中に大きな白い城の門があってその扉がひとりでに開いて中から沢山の立派な海蛇が出て参りました。そして双子のお星さまだちは海蛇の王さまの前に導かれました。王様は白い長い髯の生えた老人でにこにこわらって云いました。 「あなた方はチュンセ童子にポウセ童子。よく存じて居ります。あなた方が前にあの空の蠍の悪い心を命がけでお直しになった話はここへも伝わって居ります。私はそれをこちらの小学校の読本にも入れさせました。さて今度はとんだ災難で定めしびっくりなさったでしょう。」 チュンセ童子が申しました。 「これはお語誠に恐れ入ります。私共はもう天上にも帰れませんしできます事ならこちらで何なりみなさまのお役に立ちたいと存じます。」 王が云いました。 「いやいや、そのご謙遜は恐れ入ります。早速竜巻に云いつけて天上にお送りいたしましょう。お帰りになりましたらあなたの王様に海蛇めが宜しく申し上げたと仰っしゃって下さい。」 ポウセ童子が悦んで申しました。 「それでは王様は私共の王様をご存じでいらっしゃいますか。」 王はあわてて椅子を下って申しました。 「いいえ、それどころではございません。王様はこの私の唯一人の王でございます。遠いむかしから私めの先生でございます。私はあのお方の愚かなしもべでございます。いや、まだおわかりになりますまい。けれどもやがておわかりでございましょう。それでは夜の明けないうちに竜巻にお伴致させます。これ、これ。支度はいいか。」 一疋のけらいの海蛇が 「はい、ご門の前にお待ちいたして居ります。」と答えました。 二人は丁寧に王にお辞儀をいたしました。 「それでは王様、ごきげんよろしゅう。いずれ改めて空からお礼を申しあげます。このお宮のいつまでも栄えますよう。」 王は立って云いました。 「あなた方もどうかますます立派にお光り下さいますよう。それではごきげんよろしゅう。」 けらいたちが一度に恭々しくお辞儀をしました。 童子たちは門の外に出ました。 竜巻が銀のとぐろを巻いてねています。 一人の海蛇が二人をその頭に載せました。 二人はその角に取りつきました。 その時赤い光のひとでが沢山出て来て叫びました。 「さよなら、どうか空の王様によろしく。私どももいつか許されますようおねがいいたします。」 二人は一緒に云いました。 「きっとそう申しあげます。やがて空でまたお目にかかりましょう。」 竜巻がそろりそろりと立ちあがりました。 「さよなら、さよなら。」 竜巻はもう頭をまっくろな海の上に出しました。と思うと急にバリバリバリッと烈しい音がして竜巻は水と一所に矢のように高く高くはせのぼりました。 まだ夜があけるのに余程間があります。天の川がずんずん近くなります。二人のお宮がもうはっきり見えます。 「一寸あれをご覧なさい。」と闇の中で竜巻が申しました。 見るとあの大きな青白い光りのほうきぼしはばらばらにわかれてしまって頭も尾も胴も別々にきちがいのような凄い声をあげガリガリ光ってまっ黒な海の中に落ちて行きます。 「あいつはなまこになりますよ。」と竜巻がしずかに云いました。 もう空の星めぐりの歌が聞えます。 そして童子たちはお宮につきました。 竜巻は二人をおろして 「さよなら、ごきげんよろしゅう」と云いながら風のように海に帰って行きました。 双子のお星さまはめいめいのお宮に昇りました。そしてきちんと座って見えない空の王様に申しました。 「私どもの不注意からしばらく役目を欠かしましてお申し訳けございません。それにもかかわらず今晩はおめぐみによりまして不思議に助かりました。海の王様が沢山の尊敬をお伝えして呉れと申されました。それから海の底のひとでがお慈悲をねがいました。又私どもから申しあげますがなまこももしできますならお許しを願いとう存じます。」 そして二人は銀笛をとりあげました。 東の空が黄金色になり、もう夜明けに間もありません。」
???「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。希わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆った。 それからまた、びいどろという色硝子で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。またそれを嘗めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ち魄れた私に蘇えってくる故だろうか、まったくあの味には幽かな爽やかななんとなく詩美と言ったような味覚が漂って来る。 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言えそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには贅沢ということが必要であった。二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ媚びて来るもの。――そう言ったものが自然私を慰めるのだ。 生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていたのだが――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留まったり、乾物屋の乾蝦や棒鱈や湯葉を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下り、そこの果物屋で足を留めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗りの板だったように思える。何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている。――実際あそこの人参葉の美しさなどは素晴しかった。それから水に漬けてある豆だとか慈姑だとか。 またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいに賑かな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのが瞭然しない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはその家の打ち出した廂なのだが、その廂が眼深に冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋の二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だった。 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗かった憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。 その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が断れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。…… 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街を※(「さんずい+闊」、第4水準2-79-45)歩した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、 ――つまりはこの重さなんだな。―― その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。 「今日は一つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。香水の壜にも煙管にも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立て罩めて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな! と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙色の重い本までなおいっそうの堪えがたさのために置いてしまった。――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒し終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。…… 「あ、そうだそうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。 やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。 不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。―― 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。 変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。」
???「 よく晴れて前の谷川もいつもとまるでちがって楽しくごろごろ鳴った。盆の十六日なので鉱山も休んで給料は呉れ畑の仕事も一段落ついて今日こそ一日そこらの木やとうもろこしを吹く風も家のなかの煙に射す青い光の棒もみんな二人のものだった。 おみちは朝から畑にあるもので食べられるものを集めていろいろに取り合せてみた。嘉吉は朝いつもの時刻に眼をさましてから寝そべったまま煙草を二、三服ふかしてまたすうすう眠ってしまった。 この一年に二日しかない恐らくは太陽からも許されそうな休みの日を外では鳥が針のように啼き日光がしんしんと降った。嘉吉がもうひる近いからと起されたのはもう十一時近くであった。 おみちは餅の三いろ、あんのと枝豆をすってくるんだのと汁のとを拵えてしまって膳の支度もして待っていた。嘉吉は楊子をくわいて峠へのみちをよこぎって川におりて行った。それは白と鼠いろの縞のある大理石で上流に家のないそのきれいな流れがざあざあ云ったりごぼごぼ湧いたりした。嘉吉はすぐ川下に見える鉱山の方を見た。鉱山も今日はひっそりして鉄索もうごいていず青ぞらにうすくけむっていた。嘉吉はせいせいしてそれでもまだどこかに溶けない熱いかたまりがあるように思いながら小屋へ帰って来た。嘉吉は鉱山の坑木の係りではもう頭株だった。それに前は小林区の現場監督もしていたので木のことではいちばん明るかった。そして冬撰鉱へ来ていたこの村の娘のおみちと出来てからとうとうその一本調子で親たちを納得させておみちを貰ってしまった。親たちは鉱山から少し離れてはいたけれどもじぶんの栗の畑もわずかの山林もくっついているいまのところに小屋をたててやった。そしておみちはそのわずかの畑に玉蜀黍や枝豆やささげも植えたけれども大抵は嘉吉を出してやってから実家へ手伝いに行った。そうしてまだ子供がなく三年経った。 嘉吉は小屋へ入った。 (お前さま今夜ほうのきさ仏さん拝みさ行ぐべ。)おみちが膳の上に豆の餅の皿を置きながら云った。(うん、うな行っただがら今年ぁいいだなぃがべが。)嘉吉が云った。 (そだら踊りさでも出はるますか。)俄かにぱっと顔をほてらせながらおみちは云った。(ふん見さ行ぐべさ。)嘉吉はすこしわらって云った。膳ができた。いくつもの峠を越えて海藻の〔数文字空白〕を着せた馬に運ばれて来たてんぐさも四角に切られて朧ろにひかった。嘉吉は子供のように箸をとりはじめた。 ふと表の河岸でカーンカーンと岩を叩く音がした。二人はぎょっとして聞き耳をたてた。 音はなくなった。(今頃探鉱など来るはずあなぃな。)嘉吉は豆の餅を口に入れた。音がこちこちまた起った。 (この餅拵えるのは仙台領ばかりだもな。)嘉吉はもうそっちを考えるのをやめて話しかけた。(はあ。)おみちはけれども気の無さそうに返事してまだおもての音を気にしていた。 (今日はちょっとお訪ねいたしますが。)門口で若い水々しい声が云った。(はあい。)嘉吉は用があったからこっちへ廻れといった風で口をもぐもぐしながら云った。けれどもその眼はじっとおみちを見ていた。 (あっ、こっちですか。今日は。ご飯中をどうも失敬しました。ちょっとお尋ねしますが、この上流に水車がありましょうか。)若いかばんを持って鉄槌をさげた学生だった。(さあ、お前さんどこから来なすった。)嘉吉は少しむかっぱらをたてたように云った。 (仙台の大学のもんですがね。地図にはこの家がなく水車があるんです。)(ははあ。)嘉吉は馬鹿にしたように云った。青年はすっかり照れてしまった。 (まあ地図をお見せなさい。お掛けなさい。)嘉吉は自分も前小林区に居たので地図は明るかった。学生は地図を渡しながら云われた通りしきいに腰掛けてしまった。おみちはすぐ台所の方へ立って行って手早く餅や海藻とささげを煮た膳をこしらえて来て、 (おあが※[#小書き平仮名ん、134-7]な※[#小書き平仮名ん、134-7]え)と云った。 (こいつあ水車じゃありませんや。前じきそこにあったんですが掛手金山の精錬所でさ。)(ああ、金鉱を搗くあいつですね。)(ええ、そう、そう、水車って云えば水車でさあ。ただ粟や稗を搗くんでない金を搗くだけで。)(そしてお家はまだ建たなかったんですね、いやお食事のところをお邪魔しました。ありがとうございました。) 学生は立とうとした。嘉吉はおみちの前でもう少してきぱき話をつづけたかったし、学生がすこしもこっちを悪く受けないのが気に入ってあわてて云った。(まあ、ひとつおつき合いなさい。ここらは今日盆の十六日でこうして遊んでいるんです。かかあもせっ角拵えたのお客さんに食べていただかなぃと恥かきますから。)(おあがんな※[#小書き平仮名ん、134-16]え。)おみちも低く云った。 学生はしばらく立っていたが決心したように腰をおろした。(そいじゃ頂きますよ。)(はっは、なあに、こごらのご馳走てばこったなもんでは。そうするどあなだは大学では何のほうで。)(地質です。もうからない仕事で。)餅を噛み切って呑み下してまた云った。(化石をさがしに来たんです。)化石も嘉吉は知っていた。(そこの岩にありしたか。)(ええ海百合です。外でもとりました。この岩はまだ上流にも二、三ヶ所出ていましょうね。)(はあはあ、出てます出てます。)学生は何でももう早く餅をげろ呑みにして早く生きたいようにも見えまたやっぱり疲れてもいればこういう款待に温さを感じてまだ止まっていたいようにも見えた。 (今日はそうせばとどこまで。)(ええ、峠まで行って引っ返して来て県道を大船渡へ出ようと思います。) (今晩のお泊りは。)(姥石まで行けましょうか。)(はあ、ゆっくりでごあ※[#小書き平仮名ん、135-11]す。)(いや、どうも失礼しました。ほんとうにいろいろご馳走になって、これはほんの少しですが。)学生は鞄から敷島を一つとキャラメルの小さな箱を出して置いた。(なあにす、そたなごとお前さん。)おみちは顔を赤くしてそれを押し戻した。 (もうほんの。)学生はさっさと出て行った。(なあんだ。あと姥石まで煙草売るどこなぃも。ぼかげで置いで来。)おみちは急いで草履をつっかけて出たけれども間もなく戻って来た。(脚早くて。とっても。)(若いがら律儀だもな。)嘉吉はまたゆっくりくつろいでうすぐろいてんを砕いて醤油につけて食った。 おみちは娘のような顔いろでまだぼんやりしたように座っていた。それは嘉吉がおみちを知ってからわずかに二度だけ見た表情であった。 (おらにもああいう若ぃづぎあったんだがな、ああいう面白い目見る暇なぃがったもな。)嘉吉が云った。 (あん。)おみちはまだぼんやりして何か考えていた。 嘉吉はかっとなった。 (じゃぃ、はきはきど返事せじゃ。何でぁ、あたな人形こさ奴さぁすぐにほれやがて。) (何云うべこの人ぁ。)おみちはさぁっと青じろくなってまた赤くなった。 (ええ糞そのつら付。見だぐなぃ。どこさでもけづがれ。びっき。)嘉吉はまるで落ちはじめたなだれのように膳を向うへけ飛ばした。おみちはとうとううつぶせになって声をあげて泣き出した。 (何だぃ。あったな雨降れば無ぐなるような奴凧こさ、食えの申し訳げなぃの機嫌取りやがて。)嘉吉はまたそう云ったけれどもすこしもそれに逆うでもなくただ辛そうにしくしく泣いているおみちのよごれた小倉の黒いえりや顫うせなかを見ていると二人とも何年ぶりかのただの子供になってこの一日をままごとのようにして遊んでいたのをめちゃめちゃにこわしてしまったようでからだが風と青い寒天でごちゃごちゃにされたような情ない気がした。 (おみち何でぁその年してでわらすみだぃに。起ぎろったら。起ぎで片付げろったら。) おみちは泣きじゃくりながら起きあがった。そしてじぶんはまだろくに食べもしなかった膳を片付けはじめた。 嘉吉はマッチをすってたばこを二つ三つのんだ。それから横からじっとおみちを見るとまだ泣きたいのを無理にこらえて口をびくびくしながらぼんやり眼を赤くしているのが酔った狸のようにでも見えた。嘉吉は矢もたてもたまらず俄かにおみちが可哀そうになってきた。 嘉吉はじっと考えた。おみちがさっきのあの顔いろはこっちの邪推かもしれない。 及びもしないあんな男をいきなり一言二言はなしてそんなことを考えるなんてあることでない。そうだとするとおれがあんな大学生とでも引け目なしにぱりぱり談した。そのおれの力を感じていたのかも知れない。それにおれには鉱夫どもにさえ馬鹿にはされない肩や腕の力がある。あんなひょろひょろした若造にくらべては何と云ってもおみちにはおれのほうが勝ち目がある。 (おみち、ちょっとこさ来。)嘉吉が云った。 おみちはだまって来て首を垂れて座った。 (うなまるで冗談づごと判らなぃで面白ぐなぃもな。盆の十六日ぁ遊ばなぃばつまらなぃ。おれ云ったなみんなうそさ。な。それでもああいうきれいな男うなだて好ぎだべ。)(好かなぃ。)おみちが甘えるように云った。 (好ぎたって云ったらおれごしゃぐど思うが。そのこらぃなごと云ってごしゃぐような水臭ぃおらだなぃな。誰だってきれいなものすぎさな。おれだって伊手ででもいいあねこ見ればその話だてするさ。あのあんこだて好ぎだべ。好ぎだて云え。こう云うごとほんと云うごそ実ぁあるづもんだ。な。好ぎだべ。)おみちは子供のようにうなずいた。嘉吉はまだくしゃくしゃ泣いておどけたような顔をしたおみちを抱いてこっそり耳へささやいた。(そだがらさ、あのあんこ肴にして今日ぁ遊ぶべじゃい。いいが。おれあのあんこうなさ取り持づ。大丈夫だでばよ。おれこれがら出掛げて峠さ行ぐまでに行ぎあって今夜の踊り見るべしてすすめるがらよ、なあにどごまで行がなぃやなぃようだなぃがけな。そして踊り済まってがら家さ連れで来ておれ実家さ行って泊って来るがらうなこっちで泣いて頼んでみなよ。おれの妹だって云えばいいがらよ。そしてさ出来ればよ、うなも町さ出はてもうんといい女子だづごともわがら。) おみちの胸はこの悪魔のささやきにどかどか鳴った。それからいきなり嘉吉をとび退いて、 (何云うべ、この人あ、人ばがにして。)そして爽かに笑った。嘉吉もごろりと寝そべって天井を見ながら何べんも笑った。そこでおみちははじめて晴れ晴れじぶんの拵えた寒天もたべた。餅もたべた。キャラメルの箱と敷島は秋らしい日光のなかにしずかに横わった。」
???「 * 同じ年の十月頃、僕は本郷壱岐坂にあった、独逸語を教える私立学校にはいった。これはお父様が僕に鉱山学をさせようと思っていたからである。 向島からは遠くて通われないというので、その頃神田小川町に住まっておられた、お父様の先輩の東先生という方の内に置いて貰って、そこから通った。 東先生は洋行がえりで、摂生のやかましい人で、盛に肉食をせられる外には、別に贅沢はせられない。只酒を随分飲まれた。それも役所から帰って、晩の十時か十一時まで飜訳なんぞをせられて、その跡で飲まれる。奥さんは女丈夫である。今から思えば、当時の大官であの位閨門のおさまっていた家は少かろう。お父様は好い内に僕を置いて下すったのである。 僕は東先生の内にいる間、性慾上の刺戟を受けたことは少しもない。強いて記憶の糸を手繰って見れば、あるときこういう事があった。僕の机を置いているのは、応接所と台所との間であった。日が暮れて、まだ下女がランプを点けて来てくれない。僕はふいと立って台所に出た。そこでは書生と下女とが話をしていた。書生はこういうことを下女に説明している。女の器械は何時でも用に立つ。心持に関係せずに用に立つ。男の器械は用立つ時と用立たない時とある。好だと思えば跳躍する。嫌だと思えば萎靡して振わないというのである。下女は耳を真赤にして聴いていた。僕は不愉快を感じて、自分の部屋に帰った。 学校の課業はむつかしいとも思わなかった。お父様に英語を習っていたので、Adler とかいう人の字書を使っていた。独英と英独との二冊になっている。退屈した時には、membre という語を引いて Zeugungsglied という語を出したり、pudenda という語を引いて Scham という語を出したりして、ひとりで可笑しがっていたこともある。しかしそれも性欲に支配せられて、そんな語を面白がったのではない。人の口に上せない隠微の事として面白がったのである。それだから同時に fart という語を引いて Furz という語を出して見て記憶していた。あるとき独逸人の教師が化学の初歩を教えていて、硫化水素をこしらえて見せた。そしてこの瓦斯を含んでいるものを知っているかと問うた。一人の生徒が faule Eier と答えた。いかにも腐った卵には同じ臭がある。まだ何かあるかと問うた。僕が起立して声高く叫んだ。 『Furz !』 『Was? Bitte, noch einmal !』 『Furz !』 教師はやっと分かったので顔を真赤にして、そんな詞を使うものではないと、懇切に教えてくれた。 学校には寄宿舎がある。授業が済んでから、寄って見た。ここで始て男色ということを聞いた。僕なんぞと同級で、毎日馬に乗って通って来る蔭小路という少年が、彼等寄宿生達の及ばぬ恋の対象物である。蔭小路は余り課業は好く出来ない。薄赤い頬っぺたがふっくりと膨らんでいて、可哀らしい少年であった。その少年という詞が、男色の受身という意味に用いられているのも、僕の為めには新智識であった。僕に帰り掛に寄って行けと云った男も、僕を少年視していたのである。二三度寄るまでは、馳走をしてくれて、親切らしい話をしていた。その頃書生の金平糖といった弾豆、書生の羊羹といった焼芋などを食わせられた。但しその親切は初から少し粘があるように感じて、嫌であったが、年長者に礼を欠いではならないと思うので、忍んで交際していたのである。そのうちに手を握る。頬摩をする。うるさくてたまらない。僕には Urning たる素質はない。もう帰り掛に寄るのが嫌になったが、それまでの交際の惰力で、つい寄らねばならないようにせられる。ある日寄って見ると床が取ってあった。その男がいつもよりも一層うるさい挙動をする。血が頭に上って顔が赤くなっている。そしてとうとう僕にこう云った。 「君、一寸だからこの中へ這入って一しょに寝給え」 「僕は嫌だ」 「そんな事を言うものじゃない。さあ」 僕の手を取る。彼が熱して来れば来るほど、僕の厭悪と恐怖とは高まって来る。 「嫌だ。僕は帰る」 こんな押問答をしているうちに、隣の部屋から声を掛ける男がある。 「だめか」 「うむ」 「そんなら応援して遣る」 隣室から廊下に飛び出す。僕のいた部屋の破障子をがらりと開けて跳り込む。この男は粗暴な奴で、僕は初から交際しなかったのである。この男は少くも見かけの通の奴で、僕を釣った男は偽善者であった。 「長者の言うことを聴かなけりゃあ、布団蒸にして懲して遣れ」 手は詞と共に動いた。僕は布団を頭から被せられた。一しょう懸命になって、跳ね返そうとする。上から押える。どたばたするので、書生が二三人覗きに来た。「よせよせ」などという声がする。上から押える手が弛む。僕はようよう跳ね起きて逃げ出した。その時書物の包とインク壺とをさらって来たのは、我ながら敏捷であったと思った。僕はそれからは寄宿舎へは往かなかった。 その頃僕は土曜日ごとに東先生の内から、向島のお父様の処へ泊りに行って、日曜日の夕方に帰るのであった。お父様は或る省の判任官になっておられた。僕はお父様に寄宿舎の事を話した。定めてお父様はびっくりなさるだろうと思うと、少しもびっくりなさらない。 「うむ。そんな奴がおる。これからは気を附けんと行かん」 こう云って平気でおられる。そこで僕は、これも嘗めなければならない辛酸の一つであったということを悟った。 * 十三になった。 去年お母様がお国からお出になった。 今年の初に、今まで学んでいた独逸語を廃めて、東京英語学校にはいった。これは文部省の学制が代ったのと、僕が哲学を遣りたいというので、お父様にねだったとの為めである。東京へ出てから少しの間独逸語を遣ったのを無駄骨を折ったように思ったが、後になってから大分益に立った。 僕は寄宿舎ずまいになった。生徒は十六七位なのが極若いので、多くは二十代である。服装は殆ど皆小倉の袴に紺足袋である。袖は肩の辺までたくし上げていないと、惰弱だといわれる。 寄宿舎には貸本屋の出入が許してある。僕は貸本屋の常得意であった。馬琴を読む。京伝を読む。人が春水を借りて読んでいるので、又借をして読むこともある。自分が梅暦の丹治郎のようであって、お蝶のような娘に慕われたら、愉快だろうというような心持が、始てこの頃萌した。それと同時に、同じ小倉袴紺足袋の仲間にも、色の白い目鼻立の好い生徒があるので、自分の醜男子なることを知って、所詮女には好かれないだろうと思った。この頃から後は、この考が永遠に僕の意識の底に潜伏していて、僕に十分の得意ということを感ぜさせない。そこへ年齢の不足ということが加勢して、何事をするにも、友達に暴力で圧せられるので、僕は陽に屈服して陰に反抗するという態度になった。兵家 Clausewitz は受動的抗抵を弱国の応に取るべき手段だと云っている。僕は先天的失恋者で、そして境遇上の弱者であった。 性欲的に観察して見ると、その頃の生徒仲間には軟派と硬派とがあった。軟派は例の可笑しな画を看る連中である。その頃の貸本屋は本を竪に高く積み上げて、笈のようにして背負って歩いた。その荷の土台になっている処が箱であって抽斗が附いている。この抽斗が例の可笑しな画を入れて置く処に極まっていた。中には貸本屋に借る外に、蔵書としてそういう絵の本を持っている人もあった。硬派は可笑しな画なんぞは見ない。平田三五郎という少年の事を書いた写本があって、それを引張り合って読むのである。鹿児島の塾なんぞでは、これが毎年元旦に第一に読む本になっているということである。三五郎という前髪と、その兄分の鉢鬢奴との間の恋の歴史であって、嫉妬がある。鞘当がある。末段には二人が相踵いで戦死することになっていたかと思う。これにも※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)画があるが、左程見苦しい処はかいてないのである。 軟派は数に於いては優勢であった。何故というに、硬派は九州人を中心としている。その頃の予備門には鹿児島の人は少いので、九州人というのは佐賀と熊本との人であった。これに山口の人の一部が加わる。その外は中国一円から東北まで、悉く軟派である。 その癖硬派たるが書生の本色で、軟派たるは多少影護い処があるように見えていた。紺足袋小倉袴は硬派の服装であるのに、軟派もその真似をしている。只軟派は同じ服装をしていても、袖をまくることが少い。肩を怒らすることが少い。ステッキを持ってもステッキが細い。休日に外出する時なんぞは、そっと絹物を着て白足袋を穿いたり何かする。 そしてその白足袋の足はどこへ向くか。芝、浅草の楊弓店、根津、吉原、品川などの悪所である。不断紺足袋で外出しても、軟派は好く町湯に行ったものだ。湯屋には硬派だって行くことがないではないが、行っても二階へは登らない。軟派は二階を当にして行く。二階には必ず女がいた。その頃の書生には、こういう湯屋の女と夫婦約束をした人もあった。下宿屋の娘なんぞよりは、無論一層下った貨物なのである。 僕は硬派の犠牲であった。何故というのに、その頃の寄宿舎の中では、僕と埴生庄之助という生徒とが一番年が若かった。埴生は江戸の目医者の子である。色が白い。目がぱっちりしていて、唇は朱を点じたようである。体はしなやかである。僕は色が黒くて、体が武骨で、その上田舎育である。それであるのに、意外にも硬派は埴生を附け廻さずに、僕を附け廻す。僕の想像では、埴生は生れながらの軟派であるので免れるのだと思っていたのである。 学校に這入ったのは一月である。寄宿舎では二階の部屋を割り当てられた。同室は鰐口弦という男である。この男は晩学の方であって、級中で最年長者の一人であった。白菊石の顔が長くて、前にしゃくれた腮が尖っている。痩せていて背が高い。若しこの男が硬派であったら、僕は到底免れないのであったかと思う。 幸に鰐口は硬派ではなかった。どちらかと云えば軟派で、女色の事は何でも心得ているらしい。さればとて普通の軟派でもない。軟派の連中は女に好かれようとする。鰐口は固より好かれようとしたとて好かれもすまいが、女を土苴の如くに視ている。女は彼の為に、只性欲に満足を与える器械に過ぎない。彼は機会のある毎にその欲を遂げる。そして彼の飽くまで冷静なる眼光は、蛇の蛙を覗うように女を覗っていて、巧に乗ずべき機会に乗ずるのである。だから彼の醜を以てして、決して女に不自由をしない。その言うところを聞けば、女は金で自由になる物だ。女に好かれるには及ばないと云っている。 鰐口は女を馬鹿にしているばかりはでない。あらゆる物を馬鹿にしている。彼の目中には神聖なるものが絶待的に無い。折々僕のお父様が寄宿舎に尋ねて来られる。お父様が、倅は子供同様であるから頼むと挨拶をなさると、鰐口は只はあはあと云って取り合わない。そして黙ってお父様の僕に訓戒をして下さるのを聞いていて、跡で声いろを遣う。 「精出して勉強しんされえ。鰐口君でもどなたでも、長者の云いんさることは、聴かにゃあ行けんぜや。若し腑に落ちんことがあるなら、どういうわけでそう為にゃならんのか、分りませんちゅうて、教えて貰いんされえ。わしはこれで帰る。土曜には待っとるから、来んされえ。あはははは」 それからはお父様の事を「来んされえ」と云う。今日あたりは又来んされえの来る頃だ。又最中にありつけるだろうなんぞと云う。人の親を思う情だからって何だからって、いたわってくれるということはない。「あの来んされえが君のおっかさんと孳尾んで君を拵えたのだ。あはははは」などと云う。お国の木戸にいたお爺さんと択ぶことなしである。 鰐口は講堂での出来は中くらいである。独逸人の教師は、答の出来ない生徒を塗板の前へ直立させて置く例になっていた。或るとき鰐口が答が出来ないので、教師がそこに立っていろと云った。鰐口は塗板に背中を持たせて空を嘯いた。塗板はがたりと鳴った。教師は火のようになって怒って、とうとう幹事に言って鰐口を禁足にした。しかしそれからは教師も鰐口を憚っていた。 教師が憚るくらいであるから、級中鰐口を憚らないものはない。鰐口は僕に保護を加えはしないが、鰐口のいる処へ来て、僕に不都合な事をするものは無い。鰐口は外出するとき、僕にこう云って出て行く。 「おれがおらんと、又穴を覗う馬鹿もの共が来るから、用心しておれ」 僕は用心している。寄宿舎は長屋造であるから出口は両方にある。敵が右から来れば左へ逃げる。左から来れば右へ逃げる。それでも心配なので、あるとき向島の内から、短刀を一本そっと持って来て、懐に隠していた。 二月頃に久しく天気が続いた。毎日学課が済むと、埴生と運動場へ出て遊ぶ。外の生徒は二人が盛砂の中で角力を取るのを見て、まるで狗児のようだと云って冷かしていた。やあ、黒と白が喧嘩をしている、白、負けるななどと声を掛けて通るものもあった。埴生と僕とはこんな風にして遊んでも、別に話はしない。僕は貸本をむやみに読んで、子供らしい空想の世界に住している。埴生は教場の外ではじっとしていない性なので、本なぞは読まない。一しょに遊ぶと云えば、角力を取る位のものであった。 或る寒さの強い日の事である。僕は埴生と運動場へ行って、今日は寒いから駆競にしようというので、駈競をして遊んで帰って見ると、鰐口の処へ、同級の生徒が二三人寄って相談をしている。間食の相談である。大抵間食は弾豆か焼芋で、生徒は醵金をして、小使に二銭の使賃を遣って、買って来させるのである。今日はいつもと違って、大いに奢るというので、盲汁ということをするのだそうだ。てんでに出て何か買って来て、それを一しょに鍋に叩き込んで食うのである。一人の男が僕の方を見て、金井はどうしようと云った。鰐口は僕を横目に見て、こう云った。 「芋を買う時とは違う。小僧なんぞは仲間に這入らなくても好い」 僕は傍を向いて聞かない振をしていた。誰を仲間に入れるとか入れないとか云って、暫く相談していたが、程なく皆出て行った。 鰐口の性質は平生知っている。彼は権威に屈服しない。人と苟も合うという事がない。そこまでは好い。しかし彼が何物をも神聖と認めない為めに、傍のものが苦痛を感ずることがある。その頃僕は彼の性質を刻薄だと思っていた。それには、彼が漢学の素養があって、いつも机の上に韓非子を置いていたのも、与って力があったのだろう。今思えば刻薄という評は黒星に中っていない。彼は cynic なのである。僕は後に Theodor Vischer の書いた Cynismus を読んでいる間、始終鰐口の事を思って読んでいた。Cynic という語は希臘の kyon 犬という語から出ている。犬学などという訳語があるからは、犬的と云っても好いかも知れない。犬が穢いものへ鼻を突込みたがる如く、犬的な人は何物をも穢くしなくては気が済まない。そこで神聖なるものは認められないのである。人は神聖なるものを多く有しているだけ、弱点が多い。苦痛が多い。犬的な人に逢っては叶わない。 鰐口は人に苦痛を覚えさせるのが常になっている。そこで人の苦痛を何とも思わない。刻薄な処はここから生じて来る。強者が弱者を見れば可笑しい。可笑しいと面白い。犬的な人は人の苦痛を面白がるようになる。 僕だって人が大勢集って煮食をするのを、ひとりぼんやりして見ているのは苦痛である。それを鰐口は知っていて、面白半分に仲間に入れないのである。 僕は皆が食う間外へ出ていようかと思った。しかし出れば逃げるようだ。自分の部屋であるのに、人に勝手な事をせられて逃げるのは残念だと思った。さればといって、口に唾の湧くのを呑み込んでいたら彼等に笑われるだろう。僕は外へ出て最中を十銭買って来た。その頃は十銭最中を買うと、大袋に一ぱいあった。それを机の下に抛り込んで置いて、ランプを附けて本を見ていた。 その中盲汁の仲間が段々帰って来る。炭に石油を打っ掛けて火をおこす。食堂へ鍋を取りに行く。醤油を盗みに行く。買って来た鰹節を掻く。汁が煮え立つ。てんでに買って来たものを出して、鍋に入れる。一品鍋に這入る毎に笑声が起る。もう煮えたという。まだ煮えないという。鍋の中では箸の白兵戦が始まる。酒はその頃唐物店に売っていた gin というのである。黒い瓶の肩の怒ったのに這入っている焼酎である。直段が安いそうであったから、定めて下等な酒であったろう。 皆が折々僕の方を見る。僕は澄まして、机の下から最中を一つずつ出して食っていた。 Gin が利いて来る。血が頭へ上る。話が下へ下って来る。盲汁の仲間には硬派もいれば軟派もいる。軟派の宮裏が硬派の逸見にこう云った。 「どうだい。逸見なんざあ、雪隠へ這入って下の方を覗いたら、僕なんぞが、裾の間から緋縮緬のちらつくのを見たときのような心持がするだろうなあ」 逸見が怒るかと思うと大違で、真面目に返事をする。 「そりゃあお情所から出たものじゃと思うて見ることもあるたい」 「あはははは。女なら話を極めるのに、手を握るのだが、少年はどうするのだい」 「やっぱり手じゃが、こぎゃんして」 と宮裏の手を掴まえて、手の平を指で押して、承諾するときはその指を握るので、嫌なときは握らないのだと説明する。 誰やら逸見に何か歌えと勧めた。逸見は歌い出した。 「雲のあわやから鬼が穴う突ん出して縄で縛るよな屁をたれた」 甚句を歌うものがある。詩を吟ずるものがある。覗機関の口上を真似る。声色を遣う。そのうちに、鍋も瓶も次第に虚になりそうになった。軟派の一人が、何か近い処で好い物を発見したというような事を言う。そんなら今から往こうというものがある。此間門限の五分前に出ようとして留められたが、まだ十五分あるから大丈夫出られる。出てさえしまえば、明日証人の証書を持って帰れば好い。証書は、印の押してある紙を貰って持っているから、出来るというような話になる。 盲汁仲間はがやがやわめきながら席を起った。鰐口も一しょに出てしまった。 僕は最中にも食い厭きて、本を見ていると、梯子を忍足で上って来るものがある。猟銃の音を聞き慣れた鳥は、猟人を近くは寄せない。僕はランプを吹き消して、窓を明けて屋根の上に出て、窓をそっと締めた。露か霜か知らぬが、瓦は薄じめりにしめっている。戸袋の蔭にしゃがんで、懐にしている短刀の※(「木+霸」、第3水準1-86-28)をしっかり握った。 寄宿舎の窓は皆雨戸が締まっていて、小使部屋だけ障子に明がさしている。足音は僕の部屋に這入った。あちこち歩く様子である。 「今までランプが付いておったが、どこへ往ったきゃんの」 逸見の声である。僕は息を屏めていた。暫くして足音は部屋を出て、梯子を降りて行った。 短刀は幸に用足たずに済んだ。」
???「* 十四になった。 日課は相変らず苦にもならない。暇さえあれば貸本を読む。次第に早く読めるようになるので、馬琴や京伝のものは殆ど読み尽した。それからよみ本というものの中で、外の作者のものを読んで見たが、どうも面白くない。人の借りている人情本を読む。何だか、男と女との関係が、美しい夢のように、心に浮ぶ。そして余り深い印象をも与えないで過ぎ去ってしまう。しかしその印象を受ける度毎に、その美しい夢のようなものは、容貌の立派な男女の享ける福で、自分なぞには企て及ばないというような気がする。それが僕には苦痛であった。 埴生とはやはり一しょに遊ぶ。暮春の頃であった。月曜日の午後埴生と散歩に出ると、埴生が好い処へ連れて行って遣ろうと云う。何処だと聞けば、近処の小料理屋なのである。僕はそれまで蕎麦屋や牛肉屋には行ったことがあるが、お父様に連れられて、飯を食いに王子の扇屋に這入った外、御料理という看板の掛かっている家へ這入ったことがないのだから、非道く驚いた。 「そんな処へ君はひとりで行けるか」 「ひとりじゃあない。君と行こうというのだ」 「そりゃあ分かっている。僕がひとりというのは、大きい人に連れられずに行けるかというのだ。一体君はもう行ったことがあるのか」 「うむ。ある。此間行って見たのだ」 埴生は頗る得意である。二人は暖簾を潜った。「いらっしゃい」と一人の女中が云って、僕等を見て、今一人の女中と目引き袖引き笑っている。僕は間が悪くて引き返したくなったが、埴生がずんずん這入るので、しかたなしに附いて這入った。 埴生は料理を誂える。酒を誂える。君は酒が飲めるかというと、飲まなくても誂えるものだという。女中は物を運んで来る度に、暫く笑いながら立って見ている。僕は堅くなって、口取か何かを食っていると、埴生がこんな話をし出した。 「昨日は実に愉快だったよ」 「何だ」 「おじの年賀に呼ばれて行ったのだ。そうすると、芸者やお酌が大勢来ていて、まだ外のお客が集まらないので、遊んでいた。そのうちのお酌が一人、僕に一しょに行って庭を見せてくれろと云うだろう。僕はそいつを連れて庭へ行った。池の縁を廻って築山の処へ行くと、黙って僕の手を握るのだ。それから手を引いて歩いた。愉快だったよ」 「そうか」 僕は一語を讃することを得ない。そして僕の頭には例の夢のような美しい想像が浮んだ。なる程埴生なら、綺麗なお酌と手を引いて歩いても、好く似合うだろうと思った。埴生は美少年であるばかりではない。着物なぞも相応にさっぱりしたものを着ているのであった。 こう思うと共に、僕はその事が、いかにも自分には縁遠いように感じた。そして不思議にも、人情本なんぞを読んで空想に耽ったときのように、それが苦痛を感じさせなかった。僕はこの事実に出くわして、却ってそれを当然の事のように思った。 埴生は間もなく勘定をして料理屋を出た。察するに、埴生は女の手を握った為めに祝宴を設けて、僕に馳走をしたのであったろう。 僕はその頃の事を思って見ると不思議だ。何故かというに、人情本を見た時や、埴生がお酌と手を引いて歩いた話をした時浮んだ美しい想像は、無論恋愛の萌芽であろうと思うのだが、それがどうも性欲その物と密接に関聯していなかったのだ。性欲と云っては、この場合には適切でないかも知れない。この恋愛の萌芽と Copulationstrieb とは、どうも別々になっていたようなのである。 人情本を見れば、接吻が、西洋のなんぞとまるで違った性質の接吻が叙してある。僕だって、恋愛と性欲とが関係していることを、悟性の上から解せないことはない。しかし恋愛が懐かしく思われる割合には、性欲の方面は発動しなかったのである。 或る記憶に残っている事柄が、直接にそれを証明するように思う。僕はこの頃悪い事を覚えた。これは甚だ書きにくい事だが、これを書かないようでは、こんな物を書く甲斐がないから書く。西洋の寄宿舎には、青年の生徒にこれをさせない用心に、両手を被布団の上に出して寝ろという規則があって、舎監が夜見廻るとき、その手に気を附けることになっている。どうしてそんな事を覚えたということは、はっきりとは分からない。あらゆる穢いことを好んで口にする鰐口が、いつもその話をしていたのは事実である。その外、少年の顔を見る度に、それをするかと云い、小娘の顔を見る度に、或る体の部分に毛が生えたかと云うことを決して忘れない人は沢山ある。それが教育というものを受けた事のない卑賤な男なら是非が無い。紳士らしい顔をしている男にそういう男が沢山ある。寄宿舎にいる年長者にもそういう男が多かった。それが僕のような少年を揶揄う常套語であったのだ。僕はそれを試みた。しかし人に聞いたように愉快でない。そして跡で非道く頭痛がする。強いてかの可笑しな画なんぞを想像して、反復して見た。今度は頭痛ばかりではなくて、動悸がする。僕はそれからはめったにそんな事をしたことはない。つまり僕は内から促されてしたのでなくて、入智慧でしたので、附焼刃でしたのだから、だめであったと見える。 或る日曜日に僕は向島の内へ帰った。帰って見ると、お父様がいつもと違って烟たい顔をして黙っておられる。お母様も心配らしい様子で、僕に優しい詞を掛けたいのを控えてお出なさるようだ。元気好く帰って行った僕は拍子抜がして、暫く二親の顔を見競べていた。 お父様が、烟草を呑んでいた烟管で、常よりひどく灰吹をはたいて、口を切られた。お父様は巻烟草は上らない。いつも雲井という烟草を上るに極まっていたのである。さてお話を聞いて見ると、僕の罪悪とも思わなかった罪悪が、お父様の耳に入ったのである。それはかの手に関係する事ではない。埴生との交際の事である。 同じ学校の上の級に沼波というのがあった。僕は顔も知らないが、先方では僕と埴生との狗児のように遊んでいるのを可笑がって見ていたものと見える。この沼波の保証人が向島にいて、お父様の碁の友達であった。そこでお父様はこういう事を聞かれたのである。 金井は寄宿舎じゅうで一番小さい。それに学課は好く出来るそうだ。その友達に埴生というのがいる。これも相応に出来る。しかし二人の性質はまるで違う。金井は落着いた少年で、これからぐんぐん伸びる人だと思うが、埴生は早熟した才子で、鋭敏過ぎていて、前途が覚束ない。二人はひどく仲を好くして、一しょに遊んでいるようだが、それは外に相手がないから、小さい同志で遊ぶのであろう。ところがこの頃になって、金井の為めには、埴生との交際が頗る危険になったようである。埴生は金井より二つ位年上であろう。それが江戸の町に育ったものだから、都会の悪影響を受けている。近頃ひとりで料理屋に行って、女中共におだてられるのを面白がっているのを見たものがある。酒も呑み始めたらしい。尤も甚しいのは、或る楊弓店の女に帯を買って遣ったということである。あれは堕落してしまうかも知れない。どうぞ金井が一しょに堕落しないように、引き分けて遣りたいものだということを、沼波が保証人に話したのである。 お父様はこの話をして、何か埴生と一しょに悪い事をしはしないか。したなら、それを打明けて言うが好い。打明けて言って、これから先しなければ、それで好い。とにかく埴生と交際することは、これからは止めねば行かぬと仰ゃるのである。お母様が側から沼波さんもお前が悪い事をしたと云ったのではないそうだ、お前は何もしたのではあるまい、これからその埴生という子と遊ばないようにすれば好いのだと仰ゃる。 僕は恐れ入った。そして正直に埴生に、料理屋へ連れて行かれた事を話した。しかしそれが埴生の祝宴であったということだけは、言いにくいので言わなかった。 埴生と絶交するのは、余程むつかしかろうと思ったが、実際殆ど自然に事が運んだ。埴生は間も無く落第する。退学する。僕はその形迹を失ってしまった。 僕が洋行して帰って妻を貰ってからであった。或日の留守に、埴生庄之助という名刺を置いて行った人があった。株式の売買をしているものだと言い置いて帰ったそうだ。 * 同じ歳の夏休に向島に帰っていた。 その頃好い友達が出来た。それは和泉橋の東京医学校の預科に這入っている尾藤裔一という同年位の少年であった。裔一のお父様はお邸の会計で、文案を受け持っている榛野なんぞと同じ待遇を受けている。家もお長屋の隣同志である。 僕のお父様はお邸に近い処に、小さい地面附の家を買って、少しばかりの畠にいろいろな物を作って楽んでおられる。田圃を隔てて引舟の通が見える。裔一がそこへ遊びに来るか、僕がお長屋へ往くか、大抵離れることはない。 裔一は平べったい顔の黄いろ味を帯びた、しんねりむっつりした少年で、漢学が好く出来る。菊池三渓を贔負にしている。僕は裔一に借りて、晴雪楼詩鈔を読む。本朝虞初新誌を読む。それから三渓のものが出るからというので、僕も浅草へ行って、花月新誌を買って来て読む。二人で詩を作って見る。漢文の小品を書いて見る。先ずそんな事をして遊ぶのである。 裔一は小さい道徳家である。埴生と話をするには、僕は遣り放しで、少しも自分を拘束するようなことは無かったのだが、裔一と何か話していて、少しでも野卑な詞、猥褻な詞などが出ようものなら、彼はむきになって怒るのである。彼の想像では、人は進士及第をして、先生のお嬢様か何かに思われて、それを正妻に迎えるまでは、色事などをしてはならないのである。それから天下に名の聞えた名士になれば、東坡なんぞのように、芸者にも大事にせられるだろう。その時は絹のハンケチに詩でも書いて遣るのである。 裔一の処へ行くうちに、裔一が父親に連れられて出て、いない事がある。そういう時に好く、長い髪を項まで分けた榛野に出くわす。榛野は、僕が外から裔一を呼ぶと、僕が這入らないうちに、内から障子を開けて出て、帰ってしまう。裔一の母親があとから送って出て、僕にあいそを言う。 裔一の母親は継母である。ある時裔一と一しょに晴雪楼詩鈔を読んでいると、真間の手古奈の事を詠じた詩があった。僕は、ふいと思い出して、「君のお母様は本当のでないそうだが、窘めはしないか」と問うた。「いいや、窘めはしない」と云ったが、彼は母親の事を話すのを嫌うようであった。 或日裔一の内へ往った。八月の晴れた日の午後二時頃でもあったろうか。お長屋には、どれにも竹垣を結い廻らした小庭が附いている。尾藤の内の庭には、縁日で買って来たような植木が四五本次第もなく植えてある。日が砂地にかっかっと照っている。御殿のお庭の植込の茂みでやかましい程鳴く蝉の声が聞える。障子をしめた尾藤の内はひっそりしている。僕は竹垣の間の小さい柴折戸を開けて、いつものように声を掛けた。 「裔一君」 返事をしない。 「裔一君はいませんか」 障子が開く。例の髪を項まで分けた榛野が出る。色の白い、撫肩の、背の高い男で、純然たる東京詞を遣うのである。 「裔一君は留守だ。ちっと僕の処へも遊びに来給え」 こう云って長屋隣の内へ帰って行く。鳴海絞の浴衣の背後には、背中一ぱいある、派手な模様がある。尾藤の奥さんが閾際にいざり出る。水浅葱の手がらを掛けた丸髷の鬢を両手でいじりながら、僕に声を掛ける。奥さんは東京へ出たばかりだそうだが、これも純然たる東京詞である。 「あら。金井さんですか。まあお上んなさいよ」 「はい。しかし裔一君がいませんのなら」 「お父さんが釣に行くというので、附いて行ってしまいましたの、裔一がいなくたって好いではございませんか。まあ、ここへお掛なさいよ」 「はい」 僕はしぶしぶ縁側に腰を掛けた。奥さんは不精らしく又少しいざり出て、片膝立てて、僕の側へ、体がひっ附くようにすわった。汗とお白いと髪の油との匂がする。僕は少し脇へ退いた。奥さんは何故だか笑った。 「好くあなたは裔一のような子と遊んでおやんなさるのね。あんなぶあいそうな子ってありゃしません」 奥さんは目も鼻も口も馬鹿に大きい人である。そして口が四角なように僕は感じた。 「僕は裔一君が大好です」 「わたくしはお嫌」 奥さんは頬っぺたをおっ附けるようにして、横から僕の顔を覗き込む。息が顔に掛かる。その息が妙に熱いような気がする。それと同時に、僕は急に奥さんが女であるというようなことを思って、何となく恐ろしくなった。多分僕は蒼くなったであろう。 「僕は又来ます」 「あら。好いじゃありませんか」 僕は慌てたように起って、三つ四つお辞儀をして駈け出した。御殿のお庭の植込の間から、お池の水が小さい堰塞を踰して流れ出る溝がある。その縁の、杉菜の生えている砂地に、植込の高い木が、少し西へいざった影を落している。僕はそこまで駈けて行って、仰向に砂の上に寝転んだ。すぐ上の処に、凌霄の燃えるような花が簇々と咲いている。蝉が盛んに鳴く。その外には何の音もしない。Pan の神はまだ目を醒まさない時刻である。僕はいろいろな想像をした。 それからは、僕は裔一と話をしても、裔一の母親の事は口に出さなかった。」
〜天災の法書〜「 」
???「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある、人と栖(すみか)と、又かくのごとし。 たましきの都のうちに、棟(むね)を並べ、甍を争へる、高き、いやしき人の住ひは、世々を経て、尽きせぬ物なれど、是をまことかと尋れば、昔しありし家は稀なり。或は去年(こぞ)焼けて今年つくれり。或は大家(おほいへ)ほろびて小家(こいへ)となる。住む人も是に同じ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似りける。 不知、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主と栖と、無常を争ふさま、いはゞあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。」
???「YouTubeで超上位学校への中学受験のリアル、みたいな動画を見る機会がありました。その人は開成に入れず海城へ、そして一浪の末に東大文Tに合格したそうですが本当に暴力による支配で勉強を強制的にやっていたそうです。メンタルブレイクを乗り越えて東大文Tに入ったのは本当に凄いと思いますが、これって最早子供の為では無いなと思いました。」
???「小学生の頃は模試で3桁順位だと木刀で殴られ蔵に閉じ込められ出してもらえないとかありましたね… 今考えると虐待以外の何物でもないんですが、当時はどこもそんなもんで、それに対応できない自分が悪いと考えてました。 子供なんで視野も狭いし社会的な「普通」はわからないですしね。 それで追い詰められて飛び降りしたり首吊り未遂もしましたが、今は割とのほほんと生きてます。 メンタルもボロボロに追い詰められて肉体的にも極限状態の中でよく勉強出来てたなぁと自分でも思います…懐かしい。 自分はたまたま友人や周囲に恵まれてすんなり立ち直れはしましたが、そういう経験をしたからこそ、我が子にはのびのびとやりたい事やって育って欲しいと思いますね。」
〜天災の法書〜「 」



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